リストカット
<長野県御代田町 浅間山>
リストカット
~それは心の現われ~
リストカットは、心の強い憤りで、不安、パニックにより引き起こされる。自分を傷つけることでその苦痛が軽くなると考えてしまう。自分のストレスを表現できない子どもにとっては格好の表現方法でもある。不安やパニックは母親との分離不安にも原因があると思われる場合もある。あくまでも自己存在の表現の一時的な手段であり女子に多い。心の安定を求めているので「何故、どうして、痛かったでしょうね」と直接的にふれるのでなく、他の心の安定の方法を求めることが大切である。
中学校へ入学してようやく学校生活にも馴染み始めた4月下旬のある日の事です。一年生の女子二人が、小学校の時の同級生が「トイレでボーッとしていた」と女子生徒を連れて保健室を訪れてくれた。
女子生徒の様子から養護教諭は、気を効かせて関さんを連れてきてくれた生徒に「きっと具合が悪いんだね。よく気がついてくれたね。」と友だちの事を気遣って判断し連れてきてくれたことに感謝のことばをかけて教室に戻ってもらった。
女子生徒に事情を聞いてみると、小学校の頃仲良くしていたさっきの友だちが別のクラスになってしまった。その友だちと喧嘩した。廊下で手を振っても相手にしてくれなくなった。そんなことを考えていて発作的に十数本の傷を付けたと傷跡を見せてくれた。出血はなく白い筋がついた程度であった。
友だち関係はともかくとして家庭の様子を聞き手みると、母親は、本人の中学入学と共にフルタイムの勤めに出るようになり、父の帰宅は毎日、夜十時頃。兄は長野高専に通っていて、毎日帰りが遅いと家族関係への不満を話してくれた。
また、何故、いきなりのリストカットなのか不思議になり尋ねてみると、「コミックで見た。」と話してくれた。そういえば子どもたちの間にはやっているコミックにリストカットをする場面が出てきて話題になっているとのことなので漫画の影響も少なからずあると感じた。現実と想像の世界の区別を付けにくい年代ではあるが意識のどこかに「こうすれば解決になる」と何かを期待しているのだろう。わたしはこのコミックを読んでいないが愛読書として読んでいる子にとっては潜在意識として残っているのだろう。
彼女にとっては更に家庭環境の変化が大きく影響していると感じた。子どもの自立と自らの生き甲斐を願って子どもの中学入学を機会に母親が勤めに出ることを考えるケースがある。それ自体は悪いことでなくむしろ自立するために大切なことでもある。彼女の家庭の場合、父親は毎日夜十時過ぎの帰宅。兄は長野高専に進学し、それまで帰宅すると居たはず母親は勤務の都合で夜八時を過ぎないと帰宅しない状況であることがわかった。家族の環境が大きく変化することをどのように受け止めるか話し合ったかは分かっていないがお互いが家族の一員として大切な存在であり、家族の動静に関わりなく貴重な存在であり助け合っていくことの大切さをどう理解し支え合っていくかということが重要になる。
中学に入学して希望に胸ふくらませていると同時思春期の入り口に立った子どもたちに取っては不安が一杯でありその気持ちをどうサポートするかが大切になる。
両親にとっては大きなショックである。学校で楽しく生活していると思ったがまさかの行為である。特別な事象ととらえず子どもの心の不安定さであり彼女を責めるのでなく、家族の一員として温かく迎えることが大切である。自身が一番悩み、家族に心配や迷惑をかけてしまったことを後悔している。リストカットを「何故、どうして?」と詰問することはやめ、家事を一緒にしながら料理の仕方を教えたり、料理しながら自分の中学生時代の事を語ったりしたらどうでしょうか。いつか自身の口から「あの時は・・・」と話してくれる日が来ると考えます。それは明日かも知れないし一週間後、1ヶ月後あるいは一年後かも知れません。でも、自らそのことを話してくれる日を待ちましょう。何より家族一人一人が互いにかけがいのない一員であることを改めて感じあう貴重な出来事だと考えます。
| 固定リンク


コメント